2017年3月29日 (水)

3月29日の氷室神社「奈良一番桜」

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午後3時すぎ。
鳥居前から見ると境内全体がピンクに染まってきましたよ。

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外国のお客さんばかりで、あふれています。外国の旅行ガイドにおそらく載っているんでしょうね、きっと。

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とりあえず、三役そろい踏み。
梅の勢いが、かなり衰えてきましたね。三役落ちも時間の問題・・・。

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東側がたくさん開いていて、全体としては二分咲き。

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狛犬くんも、毎日楽しそう。

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親が弱ってきた反面、東側の子どもがそろそろ成長てきました。

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木蓮が、いまや満開!!
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開ききっています。

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西側で、あるものを見つけました。この角度から見るのは初めてか?気がつかなかっただけなのか?

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桜の幼木。お孫さんですか?

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その根元には万葉歌碑。
「うらうらに 照れる春日にひばりあがり 情(こころ)悲しも ひとりしおもへば」
大伴家持 巻十九  四二九二

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2017年3月28日 (火)

3月28日の氷室神社「奈良一番桜」

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きょう3月28日午後1時の氷室神社、「奈良一番桜」の姿。
おやおや、きのうの姿から一転して、もうほとんど、一斉に咲きかけています。

わからんもんですね!!

明日には、またまったく違う姿になっているのではないかな?

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つぼみも目一杯ふくらんできていますから。

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氷室神社は、ハクモクレンも美しい装いを見せてくれるのです。

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ひと月も前から咲き誇っていた梅も合わせての、三役そろい踏み。
冬から春へ衣替えなのです。

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興福寺猿沢池の春柳も、一斉に緑の葉っぱを着け始めました。

カメラがPENTAX Q10 から Q7 にかわって、撮像素子がサイズアップし、そのぶん同じレンズでもより広角側にシフトしました。そのおかげでこのような広大な画角を(レンズを買い換えることなく)手に入れることができたのは、とってもうれしいです。

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2017年3月27日 (月)

3月27日の氷室神社「奈良一番桜」

3月27日午後4時30分の氷室神社「奈良一番桜」。

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数輪、花が開いていたりしますが、

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全体としては、まだまだ。
見頃まではまだ1週間はかかるのではないでしょうか。

「奈良一番桜」といわれ、以前はこの時期にはかなりの見頃になっていたのですが、樹勢が衰え、そういう「勢い」がなくなってきているようなのです。

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2年前には大手術を受けたこともあり、その傷跡が痛々しく映ります。

これから可能な限り、まいにちレポートしていきましょう。

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2017年3月21日 (火)

それ行け「ラジオウォーク2017」(その3)

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まあ広いです。明治の三大監獄の一つ、もと「奈良監獄」で、設計はジャズピアニスト山下洋輔のおじいさんにあたる山下啓次郎。明治の監獄建築の唯一の現存例で重要文化財。ことし3月いっぱいで刑務所としての役目を終え、保存されます。

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くっすん、河田アナ、作家の寮美千子さん。

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寮さんは奈良に移住後、入所者と詩の授業を通じて交流を続けており、詩集や刑務所の写真集などを発表しています。

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寮さんによると、内部は明るい天窓があったり、見えないところにも装飾が施されていたりと、各所に手を抜かない配慮がなされているのだそうです。明治の日本人気質だと思います。
いまは管理、効率一点張りで、そういうゆとり、おおらかさのない社会は、歪んだ世の中ですね。

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絵葉書や寮さんの本などを、地元の般若寺町の皆さんがなさっています。

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さあ、出発!

刑務所が閉鎖されると、地元からは一刻も早く建物を撤去して欲しいという要望が上がるのに、ここ般若寺町からは、どうか残して欲しいと要望が出て所長が驚いた、というお話しが寮さんから披露されました。

地元とのいい関係ができていたんですね。聞いてて心和むお話しでした。

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さて、カーブミラー自撮り。私の趣味です。
えらくハッキリと写ってしまいました・・・が、まあええか!

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住宅地に入ります。

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戦国時代に人力で造られたという切り通しを抜けて、

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多聞城跡にある若草中学へ。

多聞城は戦国ファン、城郭ファンなら知らない人はいない名所。
近代城郭の最初は信長の安土城といわれますが、ここはその15年前にすでに石垣、土壁、瓦屋根の城郭が作られていました。近代城郭の「多聞櫓」という建築様式の元となった城です。

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崖下には五輪塔や石塔が整然と並んでいます。奈良では比較的見かける光景です。多聞城の築城時に石垣のために徴発してきた石材ということです。
今回の説明では石材調達が理由、とのことでしたが、墓石のような霊力が籠もっている石材をあえて使うことで、石垣がより強固に組み上げられるから、という理由をどこで聞いたか思い出せません。

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若草中学の校門までくだります。

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ここまで多聞城の解説は、もと若草中学教諭のキタムラ先生でした。

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校門からは興福寺五重塔や県庁の偉容が間近に見えます。

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左手には、若草山と大仏殿も顔をのぞかせています。ずっと大仏殿に見守られながら歩いているのですね。

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再び佐保川に寄り添います。

このあとデジタルカメラが故障してしまい、しばらく撮影が中断。
故障が復旧しなかったので、以後はスマホのカメラ機能での撮影になります。
(え~~っ!、カメラ修理ださなあかんし・・・。この際思い切って新しいのにしようかなぁ・・・。それはそれで嬉しいかも

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五劫院です。

じゅげむじゅげむ、ごこうのすりきれ・・・、の「五劫」。途方もなく長い時間の経過をあらわす仏教用語です。それだけ長い年数、衆生の救い方を考えていたら頭がアフロヘアーのように肥大してしまったという五劫如来さんをお祀りしています。

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ここでは、柏木アナが一人寂しくレポートしていました。

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本隊が五劫院を通過します。

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東大寺建立当時のほぼ唯一の遺構、転害門(てがいもん)をチラ見していきます。

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大仏池を左折して宮内庁正倉院事務所のほうへ。

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鹿の食べない、馬酔木(あしび、あせび)が満開です。

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右奥が正倉院のもとの正門。

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真ん中の松の木の下に、光明皇后御製の萬葉歌の歌碑があります。
「わが背子と二人見ませば いくばくか この降る雪のうれしからまし」
ラブラブだったんですね。

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ようやくたどりついた大仏殿は、ただいま回廊の修理と屋根瓦の葺き替えのためテントに覆われています。

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わざわざ南大門をくぐっていくんですね。私はこの写真のために迂回です。

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外国人さんの男の子と女の子。なにかスケッチしているようす。春休みの宿題?まさかね、日本の学校じゃあるまいし。

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春日野フォーラムの裾を通って春日の森に入ります。

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4時7分。帰ってきました~。

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エンディングフィナーレ。

ここで、おそらくラジオウォーク初のことがありました。
それは、来年のRWは桜井市で開催という発表が、早々とあったことです。

閉会式で来年のフィールドを発表なんて、私の知る限り初めてのできごとです。
正月の話題として、「ことしのRW予想」ができないですやん!

名残を惜しんで、さあ帰りましょう。

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あれ、春日大社の神職さんもフィナーレにいらしてたんですね。

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あっ上野先生、楽しかったです。
今回は先生だけが、全コース歩かれましたよね。お疲れ様でした!

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